【図鑑8】どんなときも人生のリーダーシップをとるのは自分 自立と自由、女性の選択肢を広く知らせる活動を

道喜 道恵(どうき みちえ)さん/NPO法人 浜松男女共同参画推進協会 理事長

道喜 道恵(どうき みちえ)さん

“自分で決める”が育まれた少女時代

私の祖母は、大正元年生まれで田舎の農家の出でありながら、女学校に通っていた女性でした。私の母は、4姉妹の長女で高校卒業後、結婚するまで当時はやりのバスガイドとして働き、スポーツや編み物、洋裁など、たくさんの趣味を持っていました。私は女性も学んだり、手に職をつけたりすることが当然の家庭環境で育ち、幼い頃から“自分のことは自分で決める”ということをしていました。驚かれるかもしれませんが、小学校のころから塾や習い事も自身で探して、母に「ここに行きたいんだ」と伝えると、「行きたいなら、行けばいい」と行かせてもらえるような家でした。

海外の風俗や文化、歴史などを紹介する旅番組が大好きだった私は、世界へ行ってみたいという気持ちから、旅行やサービス業を学ぼうと、当時住んでいた山口県から東京の大学へ進学しました。大学での先生との出会いによって、「私は勉強することが好き!学ぶことは楽しい!」ということに気付き、そこから大学院、研究員や博士課程と進み、その中でたどり着いたのが、マーケティングの面白さでした。

その後、縁あって、大学院に籍をおきながら働くことになるのですが、そこで、今の私に至る大きな影響を与えた人々との出会いがありました。私は、新しい産業支援をする行政の外郭団体で働くことになったのです。

海外で見た女性の起業支援を北九州で実現

新しい産業を生みだそうという組織の中で、次に私が興味を持ったのが「女性の起業支援」でした。上司の海外出張に同行した先で見た、アメリカのNPO活動。そこではマイノリティ(少数派)の支援が盛んに行われ、黒人やヒスパニックの支援はもちろんですが、そこで初めて女性に焦点を当てた支援の存在を知りました。特に興味深く思ったのは「女性の起業支援」でした。当時の日本では女性の起業支援はまだあまり行われていなかったのですが、これは私の地元にも持ち帰りたいと思い、アメリカ滞在中にさまざまな施設を見学し、北九州市に帰ってからは、地元の女性起業家や女性経営者を集め、勉強会を始めたのです。 
 
そこから始まったのがNPO法人Venus One(ビーナスワン)の活動でした。
ビーナスワンの活動拠点は、小倉駅近くの商店街の中にあるビルでした。そこでは起業セミナーだけでなく、起業初心者の女性たちがチャレンジショップとして、ネイルサロンや物販、カフェなどの運営を通じて起業のイロハを勉強しました。
その活動が認められてビーナスワンは、2005年「内閣官房長官賞 女性のチャレンジ支援賞」、2007年「内閣総理大臣 再チャレンジ支援功労者表彰」をいただきました。

30代になるかならないか、若かりし頃

浜松への移住、出産、再び女性の起業支援へ

30代半ばになった私は1週間に20コマの講座をこなし、大学院やゼミにも通い、NPOの活動もし、新規事業創出の仕事もするという何足もの草鞋を履く生活をしていました。すでに結婚もしていましたので、毎朝夫の弁当を作ることもしていました(今も続いています)。その夫の転職をきっかけに、2009年、全ての仕事や活動に一度終止符を打ちました。充実しているのになぜ?と思われるかもしれませんが、私自身は働きすぎていると感じていたり、何か新しいことができるかもと考えたり、夫と浜松に行くことに迷いはありませんでした。

浜松に来て、まずは1年間浜松のことを知ろう!リサーチの年にしよう!と決め、自転車に乗って市役所へ議会傍聴に行ったり、さまざまな活動をしている人たちに積極的に会いにいったりしました。
そこからまたご縁はつながり、税理士法人グループの経営計画を作る会社に入ることになりました。さまざまな案件を取ってきたり、セミナーを企画したり、順調に浜松でのキャリアを積み上げていこうとしていた時、妊娠したことがわかりました。自身の性格上、時短勤務は向いていない、40代の子育てを楽しもう!と思ったので、そこもスパッと辞めてしまいました。

その後、産後3カ月でフリーランスとして仕事復帰をしました。浜松市西区にある地域コミュニティの場「ゆめ応援プラザ」で女性起業支援を始めたのです。2010年頃、結婚や妊娠出産に伴い仕事を辞めざるを得なかった女性は、子育てをする中で、社会との繋がりがないことに焦ったり、自分の能力を活かしたいのに活かせていないジレンマを抱えたりしていて、子育て以外に何ができるのかを模索し始めていました。当時のゆめ応援プラザには常にそんな女性たちで溢れていました。

女性カレッジから広がる学びの輪

2014年、子どもがまだ3歳だった頃、市政だよりの中に「はままつ女性カレッジ1期募集」の案内を見つけました。それまでにジェンダーや男女共同参画について学んだことがなかったので、学べたらいいなと軽い気持ちで参加したのがきっかけでした。
カレッジでの学びは座学も多く、初めて知ることばかりで、とても新鮮で楽しかったことを覚えています。静岡大学教授の笹原恵先生に出会えたことも、とても良かったと思っています。グループでは「女性の視点で見る観光」というテーマを扱い、自主的に見学に行ったり、浜名湖の観光ブランディングに関する会議に同席させてもらったりすることで、より浜松市の様子を知ることができました。ガーベラの生産量トップが浜松であるということも、この時に知りました。 

ガーベラの花をご存知ですか?花の色は赤や黄、オレンジなどさまざまで、スッと真っ直ぐ立っています。私たちはその様子が、強みを活かして女性が独り立ちすることと重なると感じ、はままつ女性カレッジが修了生有志で「はままつガーベラ姫プロジェクト」という団体を立ち上げました。女性カレッジの学びが楽しくもっと知りたい!その想いを形にしていきました。

私個人としては、はままつ女性カレッジを受講した翌年、女性の起業を支援する「一般社団法人ハーサイズ」を起業に関わる専門家の方たちと一緒に設立しました。時代の流れとともに変化してきた女性たちの「ハーサイズ」な起業とチャレンジを応援するために立ち上げました。母としてでもない、妻としてでもない自分の存在を、自分自身が認められるようになりたい、私らしく生きたいと願う女性が増えてきたことを感じました。

“女性の起業支援”から“男女共同参画”の道へ

私はずっと「女性リーダーが社会にはもっと必要だ」ということを訴えてきましたが、現実は意思決定の場に女性の姿がない、または少ないといった場面がほとんどでした。そんな中で、「NPO法人浜松男女共同参画推進協会の理事長になりませんか」とお声をかけていただきました。歴史も実績もある団体の大役でしたが、私もリーダーになろうと理事長のお役目を引き受けました。

私は、長い間、女性の起業支援に長く携わってきましたが、ずっと気になっていることがあります。それは、起業する女性は増えても、結果を出して継続できる女性は一握りしかいないということです。ビジネスを褒めても「私なんか全然」と褒め言葉を素直に受け取れない女性、自分のやりたいことなのに夫の許可がなければ動けないという女性は少なくありません。これは個人の性格だけの問題ではないように思うのです。

子育ても家事も夫婦のもの。妻は夫を応援し、夫も妻を応援する。そういう家族を増やしていかなければ、女性側のやる気だけでは、女性の想いを遂げることは難しいのが現状です。そうした思いに至った今、男女共同参画推進協会の理事長という立場で、ジェンダーや男女共同参画といった視点から、女性の力の底上げを啓発していくことが、今私のやるべきことなのだと思っています。精神的にも経済的にも自立し、自由に生き、自分の人生を他責にしないという選択肢が女性にもあるんだよ、ということを広く知ってもらえるようにこれからも活動をしていきたいと思います。

 

(インタビュー実施日:2023年6月14日)

道喜 道恵さん略歴

 

2001年北九州市の経済産業省関連外郭団体の研究員として地域産業振興業務(IT、医療、創業関連)を担当
2002年大学、専門学校等でマーケティング論、マネジメント論、起業家育成講座等の非常勤講師を10年間ほど担当
2005年北九州市初の女性起業家支援団体NPO法人Venus Oneの設立メンバーとなる。NPO法人として、2005年「内閣官房長官賞 女性のチャレンジ支援賞」、2007年「内閣総理大臣 再チャレンジ支援功労者表彰」を受賞
2009年福岡県北九州市から静岡県浜松市へ転居
2010年浜松市の税理士法人グループ内にて経営計画策定支援を担当。中期経営計画、経営戦略、講座・セミナー企画・講師をしていたが、2011年出産に伴い退職
2013年より「ゆめ応援プラザ」(浜松市西区入野町)にて、「女性起業家応援セミナー」コーディネーター担当
2014年はままつ女性カレッジ第1期受講
2015年一般社団法人ハーサイズ設立 代表理事長就任、2018年 法人解散
2021年特定非営利活動法人浜松男女共同参画推進協会  理事長に就任

インタビュー感想

森 幸枝さん

道喜さんのお話で、1番印象に残ったことは、道喜さんのお母様の子育ての方針についてです。「子どもに選択肢を与えて、決めさせる」ということは、その方が良いと思いながらも、なかなかできていないかもしれないと感じたからです。でもそうやって、自分の想いを主張したり、そして、その選択に責任を持ったりするという経験は、大きくなった時に、「自分の人生を他人任せにしない、自分の人生を切り開くのは自分」だと思える土台になるのだろうと思いました。私自身も自分の気持ちを第一優先に!そして選択した責任と覚悟を持って、自分の人生を歩んでいきたいと思いました。