【図鑑1】運動を通して「体」と「心」を整えたい 親子が輝くためのきっかけづくりを
小野崎あゆみ(おのざき あゆみ)さん/チルチェ健康運動教室主催
運動の大切さを伝えたいと資格取得
中学高校の部活でバレーボールをやっていましたが、高校の時にけがをして、腰を痛めました。今でこそ、高校でもけがをしたらトレーナーがいますが、当時は、部活を休むしかなく、体育館の隅で腹筋と背筋をするだけでずっとモヤモヤした日々を過ごしていました。そういうけがをした人たちを助けられたらいいなと思い、最初はトレーナーを目指し、体育学部のある大学へ進学しました。20代の頃は、トレーナー方面に進もうか、健康指導の方に進もうか悩むことが多く、大学卒業後は一旦トレーナーの道に進みました。けれど、普段はスポーツ選手よりも、何もストレッチも運動もせずにマッサージにくる方をケアすることが多く、マッサージの前にストレッチや運動をお伝えしたいと感じ、健康運動指導へ方向転換することにしました。
大学在学中に、健康運動実践指導者という資格は取っていたのですが、病院や行政の仕事をする上ではワンランク上の資格である健康運動指導士という資格がある方が有利だとされていました。当時、健康運動指導士の資格を取るためには、東京や大阪で月曜日から日曜日までの週7日間の講座を3、4回受けなくてはならず、6泊7日も家を空けなくてはならない、というハードルの高い資格でした。結婚していたため、子どもが産まれたら取りにいけなくなると思い、子どもをつくる前に資格を取得しました。
つながりを持てなかった浜松での子育て
第1子出産時は、愛知県長久手市に住んでいました。長久手はとても子育てがしやすいところで、3~4ヶ月の集団健診のときに、同じ月齢の子どもごとに集団で集められて、市が主導で育児サークルを作ってくれました。月に1回保健センターの施設を予約して、そこを開放してくれました。そこで、他のお母さんと仲良くなれたことで、知り合いや友人が一人もいなかった長久手でも楽しく子育てができるようになりました。地元である浜松で第2子、第3子を出産していますが、当時浜松では3~4か月健診は個別、10か月健診が集団でしたが、そこで他のお母さんたちとのつながりができることはありませんでした。
浜松では車で20分以上かけて支援広場に連れていくことはありましたが、その場で他のお母さんと話すことはあっても、長久手のときのようにつながりができるわけではなく、第1子が幼稚園に入る前まではママ友というのは作れませんでした。第1子がとにかくやんちゃで、第2子を支援センターのベッドに寝かせ、第1子を追いかけて走る、みたいな感じだったので、他のお母さんとあまり話せなかったということもあるかもしれません。浜松では出かけるのに車を使わなくてはならないので、小さい子どもを車に乗せることが大変で、それが面倒になり、あまり出かけなくなりました。
ママではない「私」でいられる場所を
長久手では、ママ友に誘ってもらったエアロビクスにも参加しました。大きな武道場で行われており、子連れで参加できたので、子どもも一緒に行っていました。しかし、1歳の子どもはあっちこっち行きっぱなしで、私はひたすら追いかけるみたいな感じで、エアロビクスには全然参加できませんでした。それでも、子どもが騒いでも何も言われることがなく、とにかく自由な雰囲気の中、「〇〇ちゃんのママ」ではなく、先生から名字で呼ばれ、ママではない私でいられることがすごく新鮮でした。第1子が2歳3か月の頃、地元である浜松に戻ってきました。長久手で参加していたエアロビのフィットネスサークルがすごく良かったので、浜松でもこういったものがないか探したけれど見つからなかったため、自分で作ろうと思ったんです。
第1子が幼稚園に通うのをきっかけに、公民館を借りてやり始めました。指導のブランクがあったことと、自分も子連れだったので、参加費を300円という低価格にしました。SNSやブログでお知らせしたところ、参加者はけっこうすぐ集まりました。10人前後かな。幼稚園の都合もあったので月に2、3回くらいのペースでやり始めました。夏休みなどの長期休みはできなかったり、子どもたちの体調管理に気を付けたりするのがちょっと大変でした。でも、ママとしてではなく、仕事としてやれるのはすごく嬉しくて楽しくやっていました。
参加してくれたママたちは、近くにいるママたちとしゃべりながら楽しそうにやってくれていました。連れてきた子どもが騒ぐから運動ができなかった、というイライラにつながらないように、声掛けは意識していました。「できなくていいよ」「見て覚えて家でやってくれればいいよ」と伝えていました。私自身、第2子が生まれた時から、今でいうと鬱っぽかったなと思うくらい、ずっとイライラしていたんです。第1子がやんちゃなので、必要以上に怒っていました。あとは体が痛い、腰が痛いというのもあり、余計に口も悪くなって。自分も言い方がきつくなってしまうというのをすごく感じていたので、サークルに来てくれるお母さんには楽しく、笑顔で参加してもらいたいと思っていました。
サークルを立ち上げてみて、自分自身楽しかったのと、人に教えるということで責任感も出て、学びに行くようになりました。アウトプットするためにインプットする、そのインプットが楽しい、面白いという感じで、どんどん好転していきました。
産後ケアを学んで考え方が変わる
第2子を出産後、子育ての大変さを感じていた時に、インターネットで「産後ケア」ということばを見つけました。産後ケアは、体を整えるだけでなく、心の部分、思考も整えなくてはいけないと書いてありました。体は整ったけれど、子どもと過ごす中でのイライラがなくならないのは、考え方とか思考の問題かなと思ったんです。それで産後ケアを勉強しに行こうと思いました。生後半年の第3子を連れて名古屋まで通いました。子どもが行きの車でも、会場のスタジオ隣の託児でも、ずっと泣きっぱなしで、本当に心が折れそうでした。だけどやるって決めた以上、週1回の講座を半年間、全24回の講座でしたが、結構頑張って通いました。子どもも頑張ってくれました。
産後ケアを学んでみて、実際自分もイライラしなくなったし、気持ちの問題でなく、科学的にも証明された脳の仕組みを利用しているので納得がいきました。絶対に浜松で広めたいと思いました。視野も広がりました。すごくイライラしたときも、そこしか見ていないということに気付きました。子どもが騒いでしまうと「この子が騒ぐことによって私が怒られる」、そこに注目していたんですけど、ちょっと考え方を変えると、「あ、騒いでいるんだ。元気な子になるね」、「キャーって泣いていたら、肺が強くなるね」とか違う視点で物事を考えられるようになりました。「うるさくてごめんなさい」「私がちゃんとできなくてごめんなさい」じゃなくて、「すごい大きな声が出せる子でしょ」「元気で強い子になるよ」っていう考え方になりました。
手帳に書いた夢「運動と食の提案」が現実に
2012年8月に、夫がカフェを開業し、その隣にスタジオを作ってもらい「スタジオ&カフェ チルチェ」を夫婦で経営し始めました。「カフェをやりたい」と言い出した夫から「カフェの横に運動できるスタジオをつける?一緒にやるなら工事費も安くなるから今のタイミングならできるけど、後からスタジオをつけるとお金がかかるから可能なら一緒のタイミングでどうかな」と言われました。当時第3子がまだ1歳だったので、私はそんなにバリバリ仕事をしたくなかったのですが、夫にそう言われ仕方なく、という感じで始めることにしました。夫は浜松市商工会議所主催の起業塾に通っていて、運動と食の提案として経営計画書を作っていたくらいなので、元々そういう考えがあったと思いますが、その時はまだ夫と私には温度差がありました。
でも、実は結婚してすぐの26歳くらいの頃、手帳に「カフェが併設されたスタジオをやりたい」と書いていたんです。出産してからすっかり忘れていたし、誰にも言ったことがなかったので、チルチェを始めて数年後に当時の手帳を見つけて、書いてあることにびっくりしました。夫に「この手帳を見たの?」と思わず聞いてしまいました。夫は見ていなかったそうです。手帳に書いた当時、私は名古屋で会社員として保健師や管理栄養士の方と一緒に仕事をしていました。管理栄養士の方が「カフェをやりたい」と言っていたので、運動と食の提案ができるところで働きたいと思っていたのだと思います。
今から5年ほど前、参加していた経営塾で、過去を振り返って未来を描く「卒論」を書くため夫に取材する機会がありました。夫は名古屋にいるときに、「せっかく浜松に行って心機一転するのなら、違う仕事がしたい。できれば妻と一緒に何か仕事をしたい。妻が運動指導をしているが、自分が運動の勉強をすることは難しい。自分は野菜が好きだし、浜松が産地の野菜も多い。興味のある食のことを勉強しよう」と思っていたようです。夫は名古屋にいるときに野菜ソムリエの資格を取得し、浜松に越してからも、3年ほどレストランなどで修業していました。夫が浜松で違う仕事がしたい、野菜が好きだから野菜ソムリエの勉強をした、ということは知っていたのですが、私と一緒に仕事がしたいと思っていたとは知らなかったため、この時びっくりした記憶があります。
家族で乗り越えたスタジオ&カフェ運営
「スタジオ&カフェ チルチェ」を運営していた頃は、家のことはほったらかしでした。保育園から子どもを“回収”して、18時に帰宅、19時までにご飯、21時までに寝かせるという慌ただしさ。もう覚えてないですが、その日暮らしみたいな感じで必死でした。家の中は、当時はきれいにしているつもりでしたけど、今思えば汚かったですね。夫と私の休みは別の曜日にずらして取っていました。例えば夫は平日1日、私は別の曜日に2日お休みします。そうすると週3日間子どもは親と関われるから、少しでも親が育児に参加できます。週1回揃って休みにすると、その日に一緒にお出かけはできるけど、残りの6日はほったらかしになると思って休みをずらしました。でもそうしたら家族旅行も行けなくて、とにかく子どもたちには我慢をさせてしまいました。
第3子が年中くらいの頃、園児と小学生のキッズクラスを始めました。生徒さんがまさに自分の子どもと同じ世代なので、子どもに「これどう思う?」などと聞いて、アイデアを一緒に生み出してもらいました。子どもが大きくなってからは、子どもとの関わりと仕事を楽しく両立できるようになりました。仕事で使う写真も「こういうポーズして」と子どもにお願いして撮って使いましたし、今でも荷物を運んだりしてくれます。子どもの存在はすごく大きくて、本当に助けてもらいました。
カフェ経営をしている夫を見ていて、飲食店は大変だと思っていました。朝は6時には出勤、帰りも20時から22時でほぼ家にいなかったので、夫とはお店で喋ってコミュニケーションをとるようにしていました。私がカフェを手伝っていたら喧嘩になっていたかもしれないですが、同じ空間にはいたけれど、カフェとスタジオは仕事内容がまったく違っていたので、うまくやれていたのかもしれないですね。
「お母さん」が本当に必要としていること
長年教室を通してたくさんの親子を見てきて、目に見える表面的な進化はすごいと思います。抱っこ紐は、腰で支えるタイプが出てから腰を痛めるお母さんが増えたなと感じています。常温のミルクなど、便利なものも増えました。子育て支援も増えていて、10年前は「産後ケア」という言葉なんてあまり聞かなかったけれど、今では浜松市でも家事育児の支援事業に「産後ケア」という言葉が使われるようになっています。でも、それで産後の鬱や自殺、虐待は減っているのでしょうか。本当にお母さんが必要としているのは「モノ」じゃないと思います。「やってあげるよ」という支援とか、便利なグッズで「楽になるね」というものじゃないんです。お母さんの考え方とか、困ったらここに聞けばいいっていう「知っていること」が変わる必要があると思いました。今は情報過多なので、それでパニックになっているお母さんもいるかもしれませんね。
受講のきっかけは「ライフコースってなんだろう」
私は「はままつ女性カレッジ」の2期生ですが、カレッジの前に「はままつチャレンジ塾」という講座を受講していました。その後カレッジの案内が届いたのですが、そこに「女性のライフコースと出産、子育て支援」というタイトルがありました。「なんだろうライフコースって」と思い、その講義を聞きたくて参加しました。
「ライフコース」って聞いたことありますか? 日本人は、学校を卒業、就職、結婚、妊娠出産、子育ての順番がずれると、違和感がある人が多いそうです。でもフランスでは、学生結婚も、結婚しないで子ども産む人もたくさんいる、ということを教えてもらいました。日本は物資や環境は恵まれているけれど、その風潮があることで、子育てや出産しにくいと聞いて、「なるほど!」と思いました。他に浜松市の子育て支援の講座もありました。グループワークでは、出産や子育て支援について考えるグループに入って提案しました。課題を考え、改善策を調べて、提案するというスキルを学べたのはすごくよかったです。女性カレッジに参加して、男女共同参画について意識というかアンテナが立つようになりました。もともと「男の役割」「女の役割」というのに違和感があったので、それが大きくなったと思います。
親の意識も整え、子どもをより輝かせたい
今はスタジオではなく、フリーのインストラクターとして活動しています。仕事量を増やさず、今まで継続的にやっていた大人のクラスと子どものクラスだけやっています。以前は家のことが何にもできていなかったので、家の中を断捨離してすごく片づけています。産後ケアのクラスや養成講座は今お休みしていますが、ゆくゆくは再開していきたいと思っています。コロナ禍で、鬱になりやすかったり、女性の自殺がすごく増えてきたりしていると聞きます。だから会って話をするというのがすごく大事なので、オンラインではなく、実際に集まって産後ケアのクラスをやりたいなと思っています。
また、子どものクラスにも産後ケア思考を取り入れていて、ちょっと仕掛けを考えるようにしています。毎月、保護者あてに手紙を出しているんですけど、脳のこととか思考、子どものやる気を引き出すための声掛けの話だとかを書いて、お母さんだけではなく、お父さんにも見てもらえるようにしています。教室のブログは、お母さんは見ているかもしれないけど、お父さんはなかなか見てくれないと思うので、普通の運動教室とちょっと違いを持たせるために、産後ケアの要素を取り入れています。
私は、子どもというのは純真無垢で、とにかく“ゼロ”だと思っています。透明で、純真無垢な子どもを何色に染めるのかというのは長く一緒にいる親御さんだと思います。できたらいい色に染めたいのだけれど、声かけ一つで悪い方向にいってしまう可能性もあります。でも、どんなにやんちゃで手がつけられない子がいたとしても、声かけによってどうにでもなると思っています。未就園児のクラスなどの仕事もしていますが、子どもの能力を伸ばしたいというのはもちろん、親を整えたいという思いもあります。私は一週間のうちレッスン時間である50分しかその子と関わることはできないけれど、その子と一番多くの時間を関わっているのは親御さんです。その親御さんの思考を変えるというか、意識を整えてあげることができれば、その子がより輝けるのではないかと思っています。そんなきっかけ作りをしていけるような活動を今後も続けていけたらいいなと思います。
インタビュー実施日:2021年8月4日
小野崎あゆみさん略歴
2004年 | 健康運動指導士資格を取得 |
2009年 | ママのためのフィットネスサークルをスタート |
2011年 | 一般社団法人体力メンテナンス協会の産後ケアインストラクター資格を取得 |
2012年 | スタジオ&カフェ チルチェを夫婦で経営 |
2015年 | キッズ運動教室を始める |
2021年~ | フリーのインストラクターとしてレッスンを行っている |
インタビュー感想
私はチルチェで小野崎さんの産後ケア講座を受講したことがあり、当時から行動力がある方だなと思っていました。今回小野崎さんのお話を聞いて、節目節目でやりたいことをきちんと決めていらしたのだなとわかりました。それが行動力に繋がっているように感じました。文章からも、彼女の行動力の素になる「決める」力が伝わるといいなと思います。(木村由香) |
小野崎さんの学びへの意識の高さを感じました。中でも、サークルを立ち上げてみて、人に伝えるために「アウトプットするためにインプットする」ことの面白さ、責任感が出てきたというお話がとても印象的です。自分自身も学ぶことは好きですが、育児中心の生活の中で、アウトプットすることがなかなかできていないと感じました。同時に、今後、自分自身も人に伝えることを意識しながら学びをより深めていけたらと思いました。(秋山陽子) |
小野崎さんが気さくに、そして丁寧にインタビューに答えてくださり、とても楽しい時間を過ごすことができました。世の中のママたちのために、自分ができることが何かを一生懸命考え、熱心にお仕事に取り組む姿勢に感動しました。小野崎さんのようにママたちを支えてくれる人がいる、と思うととても心強くなり、自分もまた育児を頑張ろうという気持ちになりました。素敵なエピソードをたくさん伺うことができ、感謝しています。(岡崎綾香) |