【図鑑6】人生のテーマは苦しむ人の「心のケア」 仕事と家事育児の両立も自分らしく

松島 聡美(まつしま さとみ)さん/看護師

 

松島 聡美(まつしま さとみ)さん

子どものころから身近だった看護の世界へ

母が看護師をしていて、子どもの頃はよく看護師さんごっこをして遊んでいました。大きくなったら看護師になりたいと言っていたと思います。私が幼稚園くらいのとき、母が働いていた施設の催しに行ったことを覚えています。母の働く姿が無意識に目に入ったというか、影響を受けているのかなと思ったりします。

短大卒業後、看護師になってから10年間、総合病院で働きました。4年間外科で働いてから、患者さんの心のケアをもっとしたいと思ってホスピス(終末期患者の緩和治療などを行う施設)に行きました。死に向かっていく人を看るのは、ある程度覚悟を持っていないといけなくて、人生の中でも一番大変でしたが成長できた時間でした。1人目の出産で退職した後、看護の知識をなくしたくないと思い、子どもが1歳半の頃に仕事を再開しました。

復職する前には、家族に「そろそろ働きたいな」とつぶやいて、働きたい意思を伝えることから始めました。具体的に働くことが決まったら、自宅で本や教科書で勉強したり、頭の中で生活のシミュレーションをしたりしました。通勤などの状況を考えて、老人福祉施設で週1日、パートで2年間働きました。その後2人目を出産し、1年くらいしてから再就職しました。総合病院勤務から時間が経っていて勉強し直したかったので、総合病院の外科で月3回の夜勤パートとして働きました。最初は不安だったんですけど、昼間はなるべく子どもと一緒にいたかったため、夜勤のある仕事に決めました。2年くらい外科で働いてから、精神科の病院に転職しました。当初は月曜から金曜の9時から17時までのパート勤務でした。週5日働くのは不安でしたが、勤務先が家から近く、やってみたい精神科だったので、どうしたら自分や子どもがストレスを感じないようにできるかを考え、何度も頭の中でシミュレーションしました。実際やってみると何とかなりましたが、平日昼間だけの勤務は私には合わなくて、夜勤も始めて正社員になりました。

 

夜勤との両立 家族への感謝を忘れずに

昼間勤務の日は朝5時半に起きます。朝ご飯とお弁当、夜ご飯まで作って、家事全般やってから子どもの勉強をみて8時に家を出ます。夫は7時前に出勤するので、その前に協力できるところはしてもらいます。残業はほとんどないので、17時半前には終わって18時には夕飯が食べられます。

夜勤のある日は、昼過ぎくらいまで自由時間です。家や自分の用事を済ませたり、子どもたちと過ごしたりします。夜勤のときは仮眠がとれて体が楽なので 私には合っているみたいです。

働き始めてからは、家事分担が原因で夫ともめることも多くあります。感謝を忘れると けんかになるな、感謝を伝えることは大切だな、と思っています。時々、自分の時間をとってリセットするようにしています。何も考えずにぼーっとしたり、友達とランチに行ったり、ヨガに通ったり、その時々に好きなことをしています。

患者さんの抱える重さを軽くできたら

精神科は奥深いと思います。入院患者さんは、最初は混乱しています。人によって経過も違うし予測がつかないです。薬物、精神療法を主として、症状が落ち着いた後に社会生活に戻れるように、看護師だけでなく精神保健福祉士などと連携して、退院後の生活について相談していきます。

私は心理学やカウンセリングの勉強を通して精神科に興味を持ちました。精神科で働いて2年目になりますが、看護師にできることが何なのか、まだ手探りです。患者さんの中には、日常生活のストレスで一過性の精神症状が出た方もいるので、共感できる面もたくさんあります。

忙しくて患者さんと話す時間がないこともありますが、患者さんにかける言葉は意識して選んでいます。「固形物を食べると腸が詰まるんじゃないか」っていう妄想のために食事ができない方が、いろいろ声かけを変えてみたら食べられるようになった、ということがありました。声かけ一つで変わることもあります。でも、実際そんなことはまれなんですが。入院している患者さんの中には抱えているものが重たい人も多くいます。だからこそ私は軽さを意識していたいなと思っています。笑顔にしてあげられたらなと。ホスピスにいた頃はそれができなかったんです。患者さんを笑顔に変えてあげられる同僚もいたんですけど、私は一緒に「辛いね」って寄り添うしかできませんでした。でも、育児を通して私は変わったかもしれません。子育てをしていると、うまくいかないことの方が多く「どうしようもない、私の力じゃ到底コントロールできないな」ということを受け入れられるようになりました。

働けなかった育児中は「学びの時期

はままつ女性カレッジは、浜松市の広報で知りました。2人目が生後半年で仕事をしていない時期だったので、時間もあったし楽しそうだなと思って参加しました。はままつ女性カレッジでは、「LINE相談窓口の提案」をテーマに取り組みました。浜松市の相談窓口が多すぎて、たらい回しにされるとか、そもそも相談しにくいという声があったので、若い人でも誰でも相談しやすいLINEがいいんじゃないかと思い、長野県の事例も紹介しました。

カレッジでは、いろいろなことを学べました。法律についても知ることができたし、いろいろな人の話を聞いて面白いなと思いました。カレッジを機に縁も広がって、これからもつながっていくといいなと思っています。

私はホスピスにいた時から心のケアがしたくて、人生のテーマとして捉えています。自分のやりたいことが明確になっていたので、育児中でやりたいことができなくても「仕方がない、今はそういう時期だ」と割り切れました。そのぶん何かほかにできることがあると思って、勉強したりはままつ女性カレッジに通ったりしていました

 

職業の枠を超えて若者の心をケアしたい

将来は、ひきこもりとか若者の心のケアに関われたらと思っています。精神科で自殺未遂を繰り返している若い子を担当したことがありました。家庭環境にも恵まれず自己肯定感が低かったその子が退院するとき「精神保健福祉士になりたいっていう夢ができました」という手紙をくれました。そのときに、苦しんでいる若者にちょっとでも「大丈夫だよ」って言ってくれる大人がいれば、もしかしたら彼らも変われるんじゃないかと思いました。「あなたは大丈夫、苦しい思いをしてきたことで得られたものがきっとある」って短い言葉でもいいからちょっと視点を変えてあげることができればなと思うんです。看護師だけだとできないことも多いので、ほかの職業の方たちと連携して支援していきたいと思っています。

(インタビュー実施日:2022年5月27日)

松島聡美さん略歴

2002年看護短大卒業、総合病院外科病棟勤務
2006年総合病院ホスピス病棟勤務
2012年退職、結婚
2013年1人目出産
2014年老人保健施設でパート勤務
2016年退職、2人目出産
2017年総合病院外科病棟でパート勤務
2020年退職、精神科病院で正社員勤務

 

インタビュー感想

木村 由香さん

ご自身の人生のテーマをはっきり言える松島さんの姿は、とても清々しくて素敵でした。じっくりお話を聞いたり、原稿をまとめたりする中で、自分自身の今後もふと考えることがあり、良い影響を受けました。私が感じた松島さんの魅力をいろいろと紹介したくて、原稿を短くできなくなってしまい、先生に相談してまとめ方を学べました。ありがとうございました。