大震災の被災者の皆さまにお見舞い申し上げます

3月11日午後に発生した東北関東大震災に伴い各地で甚大な被害が出ておりますが、被災された方々、ご家族の皆様には、心からお見舞い申し上げます。
私ども浜松男女共同参画推進協会としても、今回被災された地域への救難支援活動を地道に行っていきたいと考えております。
まずは思いつくところから・・・
避難生活をされている方々への情報をいくつか
以下は浜松市HPの「知っていると役立つ地震豆知識」より引用させていただきました。
※今はほとんど物資もない避難生活の中で役立つ情報ではないかもしれませんが、今後何かのお役に立つことを祈っております。
多くの犠牲を払ってからの避難生活は、満足な物資も得られず、慣れない共同生活で非常に辛いものがありました。
 その中で、助け合いながら生活していくうちにちょっとしたアイデアや知恵がいろいろと浮かんできますが、これらは、実際に不自由な避難生活を体験しないと気付かないことばかりです。でもほんの身近なことなので、時とともに忘れられてしまいかねません。そこで、そうした避難生活の知恵を残し、広く伝えていくため、ここに紹介します。
1 水
3日目にやっと給水車が来ましたが、それまでの間、大変困りました。近くに住吉川が流れていたお蔭で、家族で何度も川まで往復してバケツで水を運び、湯船のなかにためました。それをトイレや洗濯に使いました。飲み水はアウトドア用のポリ容器に入れて使用しました。 (東灘区  女性)
 ライフラインが途絶えると、たちまち困るのが飲み水です。当時、湧き水や井戸水を分けて頂けるところや給水車まで水汲みに行くのが日課になりました。
 清潔なポリバケツは手に入らないのでゴミバケツや掃除用のバケツなどを代用せざるを得ません。そのまま使うと、飲めなくなるので、ポリ袋を被せて水を入れ、袋の口をくくります。そうすると水が汚れず、運ぶときに水面が揺れて、こぼれたりふらついたりせずに瓦礫の中を楽に歩くことができました。さらに、土砂を運ぶのに使う一輪車にポリ袋を敷いて使うと、大量の水を一度に楽に運ぶことができます。 (東灘区 17歳 男性)
〔消防署からのアドバイス〕
 こうした断水の時、ありがたいのが自然の川です。住吉川は都市部でも非常にきれいな水が流れているので、この時ばかりは多くの方が水汲み場所として利用しました。
 しかし、非常時なので仕方がない事かもしれませんが、中には川で直接洗剤を使用して洗濯をされていた方もいました。下流域でも水を利用されていますので、できれば汚水が川に流れ込まないところで洗濯するように心がけてほしいものです。
2 食事
 焚き火のあとにできた炭は、捨てずにとっておきます。配給される弁当は、この炭の上に網や鉄板、鉄筋を敷き、中身をアルミホイルに包んで温めると美味しく食べることができます。また、汚れた水でも鍋で沸かしてその中へビニール袋で密閉した食べ物を入れて温めると、これもまた美味しく召し上がることができます。炭は焚き火の火を使うより安全です。 (東灘区  17歳  男性)
 お寿司に付いていた割り箸がいつの間にか沢山たまっていたので、これを着火材として利用したので火や炭をおこす時にとても役立ちました。 (東灘区  74歳  女性)
 食事したあと水を無駄に使えませんので食器にラップを敷き、終わってからラップをはがして処分します。そうすれば食器は洗わずに済みます。 (東灘区  女性)
 地震後3日目くらいに雨が降ったと思います。その時、家族総出でありったけのうつわを庭に並べて雨水を溜めました。この水を食事のあとの食器洗いに利用しました。今も、雨が降るたびにこの事を思い出します。 (中央区  女性)
〔消防署からのアドバイス〕
 カセット式こんろが非常に役にたった話をよく聞きます。中には鉄板焼きなどで二台並べて使った例もあったようですが、これが非常に危険でした。二台並べるといずれか一方のカセットボンベの位置が中央にくるので、過熱して爆発した例があったようです。
 便利性だけでなく、危険性にも充分注意してほしいと思います。
3 カイロ
 地震の前々日に、主人が始めてカイロを沢山買ってきたのでびっくりしていましたが、二日後に地震がやってきて、このカイロが二十四時間役立ったので、これまたびっくりしました。また、昭和29年に引っ越してきたとき炭を利用していましたが、この残りがあり、これにもびっくりしました。若いときに苦しい生活をしていたので、この不思議な偶然に助けられた思いがします。がんばってください。  (東灘区  74歳  女性)
 空いたペットボトル(円筒より角柱のほうが強い)に熱湯を半分くらい注ぎ、ふたをしっかり閉めて、2枚のタオルを巻き付けて毛布に入れて寝ました。避難所は寒く、足が凍えてずっと眠れなかったけれど、これでOKでした。ボトルは少々歪みますが、破れることはありませんでした。 熱湯は、自衛隊の人が焚き火にかけていたヤカンのお湯をもらいました。もちろん並んで。 (東灘区  31歳  女性)
〔消防署からのアドバイス〕
 当時、避難所では、食料や毛布などの物資はある程度時間がたてば、災害対策本部から提供できるようになりましたが、暖房器具まで直ぐには配付できませんでした。こうした避難生活の知恵は大切にしていきたいものです。
 
4 電気製品
 私の住んでいる住吉台は地震当日の午後から電気が復旧しましたので、湯を沸かすのに電気ポットが役に立ちました。その他、電磁器、電子レンジなどまだ色々ありますが、電気製品がこんなに役立つとは思いませんでした。 (東灘区  女性)
 ホットカーペットが役に立ちました。倒壊した自宅の床から助け出した二帖のホットカーペットが震災後の唯一の暖でした。身も心も昼夜ホットな気持ちでした。 (東灘区  61歳  女性)
 
 単2の電池が無かったため、家にあった単3電池に紙や布をぐるぐると巻付け、単2電池の代用にしました。これで、懐中電灯や電池式シェーバーなどを使うことができました。 (北区  61歳  男性)
〔消防署からのアドバイス〕
 ライフラインが途絶したあとでもっとも早く復旧するのは、電気のようです。ガスや水道が機能していない間は、電気器具が非常に重宝します。しかし、電気器具のなかには、非常に厄介なものもあります。停電した電気が一旦復旧すると通電状態となり、発熱して火災に至るケースがあるのです。熱帯魚の保温ヒーターがそれです。地震でガラス水槽が壊れてしまったままで、通電すると水がないので高温になり、付近の可燃物に着火して火災となるのです。
 震災で停電したあとは、一旦電気ブレーカーを遮断し、電気が復旧した時に確認しながらブレーカーを入れるようにしなくてはなりません。
5 ポリ袋
 地震直後の避難生活では、毛布などはなかなか手に入れることができなかったので、新聞紙とゴミバケツ用ポリ袋で簡単な布団をつくりました。これは、新聞紙を丸めてポリ袋に詰めるだけの簡単なものでしたが、この中に足を入れていると空気の層が熱の放散を防いでくれるので、以外と温かく過ごすことができました。真冬の夜には何も無いよりましです。 (東灘区  15歳  男性)
 大震災時、寝巻のまま避難しました。寒い日でしたので、体がガタガタ震えました。避難所へ行っても毛布など体を覆うものはありませんでした。ただ、あったのは、黒い大きなゴミ袋だけでした。仕方がなく、そのゴミ袋で体に巻き付けると、結構、暖かくて助かったことを覚えています。(長田区  60歳  女性)
〔消防署からのアドバイス〕
 寒さ対策としては、これ以外に段ボール箱をたたんで床に敷くと以外と温かく過ごせます。また、新聞紙を一度丸めてシワを作り、再び延ばして上着と下着の間に入れて着ると空気の層ができて寒さを防ぐことができます。
 地震直後は、多くの方が着の身着のまま避難したという状況でしたので、パジャマ姿の方もいました。
6 消 毒
 私は、弁当や寿司などに付いてくる魚の形をした醤油入れに、毎朝の洗顔時に水を入れいつもポケットに入れて持ち歩いています。それは次のことに役立つからです。
1  小さい傷をしたとき、傷口を洗うことができる。
2  倒壊家屋の瓦礫処理でほこりなどが目に入っても、目の洗浄ができる。
 
3  親指と人さし指の先だけなら充分洗えるので、食べ物をつまみ食いするのに(常に箸やフォークなどがあるとは限らない)最低の条件が整う。
4  服に小さな汚れが付いたとき、染みが付くのを防ぐことができる。
5  中の水を捨てて、スポイドとして利用できる。(北区  60歳  男性)
 
 濡れティッシュが消毒などに非常に役に立ちました。水道が途絶しているので、傷口などを拭くにはこれしかありませんでした。今でも何個か買い置きしています。(東灘区  女性)
〔消防署からのアドバイス〕
 水道が途絶しているときには、きれいな水はなかなか手に入りません。救急箱にある消毒液などは傷口の消毒に使えますが、食事前の手洗いや子供の顔拭きなどには、利用できません。濡れティッシュなどは非常持出し用の防災グッズに必ず加えておきたいものです。
7 トイレ
 わが家の周囲は、震災後に建っているのはマンションだけというような状態で、私達のマンションも給水タンクが壊れ、外壁が全てないという大きな被害を受けました。ほとんどの住民が鷹匠中学校へ避難しました。その避難所の生活の中で今も思い出すのはトイレのことです。あれほど水洗トイレがうらめしく思えたことはないというくらいヌのトイレを見ても汚物の山。「水が流せないので、紙は流さない。」「オシッコ以外の汚物、紙は新聞紙に取ってください。」という注意書も全く無視。本当に言葉では言い表せないものがありました。そんな時、避難所で一緒になった女性の方が「私、家でいつもこんな風に簡易のごみ箱を作っておいているんだけど・・・」
と新聞紙を折って作った箱を見せてくれました。それがヒントになり、簡易トイレが誕生しました。
 トイレで用を足すとき、それをもって入り、終わったら手を汚さずにごみ箱へ捨てることができます。子供なら電気のついていない時でも校庭の隅でさせてやることもできました。夜に女性、子供が色々な話をしながら、せっせと新聞紙を折っていたことが、今はなつかしい思いです。そのごみ箱を教えてくれた女性の方と新聞紙に深く感謝します。 (灘区 40歳 女性)
〔消防署からのアドバイス〕
 避難所の仮設トイレは早いところで3日後、遅いところでも1週間くらいで設置されたようでした。家庭では断水でトイレが使えない場合に備え、浴槽のお湯を捨てずに残しておけばトイレ用水として利用することができます。
8 自転車
 震災時は街灯がすべて消えてしまっているので、夜間に乗る自転車は、ライトを点灯することができるものがよいと思います。また、防犯対策として、各住民が自警団を結成して警戒している場合があるので、無灯火で自転車に乗っていると不審者と間違われます。 (灘区 18歳 男性)
 地震後は、交通渋滞で自転車やバイクが多くなるため、車を止める場所では必ずサイドミラーを倒しておいたほうがよいと思います。私は、右サイドミラーをバイクにぶつけられ、長い間修理することもできずに大変不便でした。
 また、自転車やバイクは路上の散乱物が多くなるため、パンク対策を自分でできるようにしておいたほうがよいと思います。パンクで困っている人を数多く見ました。 (兵庫区 36歳 男性)
〔消防署からのアドバイス〕
 バイクや自転車の走行には、必ずタイヤの空気入れや簡易式のパンク修理セットを携帯することをすすめます。路面への落下物で状態が非常に悪いので、必ずといっていいほどパンクします。パンクしたからといって乗り合わせる公共交通機関は、まず動いていません。
9 照 明
 停電すると、夜は街灯もなく懐中電灯の光が頼りになります。でも、これも束の間、電力の復旧には数日かかるので、電池切れを起こした懐中電灯はただの筒になってしまいます。こうした震災時の長時間の明かりはなかなか手に入りません。そこで気がついたのが、結婚式に使ったウェディングキャンドルでした。ひっくり返った押し入れの中からようやく探し当てて使いました。 (東灘区 26歳 女性)
 懐中電灯やろうそくなどの明るさのなかでは裁縫をするのは難しく、糸の先がばらけて針穴になかなか通らない場合があります。こんな時、1本の髪の毛の両端を同じ方向から穴に通すと髪の毛の大きなリングができるので、そこへ糸を通してから髪の毛の両端を引くと簡単に糸が針に通ります。 (北区 61歳 男性)
〔消防署からのアドバイス〕
 天ぷら油を利用した簡易オイルランプの作り方を紹介しましょう。これは、金属の灰皿や空き缶に水を深さ2センチほど入れ、そこへ天ぷら油をさらに2センチほど入れます。(2層に別れて、油のほうが軽いので上になります。)そこへ細く切った布切れをよじって10円玉大のアルミホイルを貫通させてロウソクの芯のように液面に浮かせます。これにライターで火をつけると、10時間前後明かりが確保できます。空き缶をうまくくり抜いて使うと風除けつきオイルランプにも早変わりします。
 ただし、こうした裸火を使う明かりは余震による転倒やガス漏れに十分注意してください。

以下はrescuenow@niftyさまより引用させていただきました
http://rescuenow.nifty.com/cs/column/detail/060327000539/1.htm

避難生活の長期化がもたらす問題

大きな災害が発生すると、一時的にせよその地区の住民が避難所生活を余儀なくされる場合がある。発災直後は生命の安全を確保することが第一の目的となるため、避難所での生活といった「住環境」を問題にすることはないだろうし、個人差があるだろうが、その生活が1週間程度までであれば、さほど大きな問題にはならないかもしれない。
しかし、避難所生活が長期化すると、様々な問題が生じ始める。食事や入浴やトイレといった問題だけではないことが深刻さを増す。「プライバシーの確保」である。避難所には被災者だけでなく、被災地救援のために駆けつける行政の職員やボランティア、そういった初対面の人たちが大勢いる中で、自分の生活をさらけ出すことは多くの人にとって大変な苦痛となる。

避難所生活で発生する弱者


避難所を訪ね歩いたジャーナリストの冨田きよむ氏は、最も弱い立場に置かれる存在として、乳飲み子を抱えた若いお母さんや着替えをしたい女性、生理中の女性などを挙げる。母親用の授乳のためのスペースは避難所には準備されておらず、母親は日に何度となく、人目をはばかりながら授乳せざるを得ない。また、昼夜の区別なくなく泣きやまない赤ん坊によって周囲の冷たい視線にさらされることもある。一方、被災者が受けたショックや不安などを察すると、そういう反応をしてしまうことも一概に非難できないだろう。
また、女性が着替えをしようとしても視界を遮るものがないため、トイレの中で着替える人が出てくる。狭く、ただでさえ混み合う女性トイレの中での着替えを強いられ、また生理の時であっても、トイレ待ちの長い列に並んで順番を待たなくてはならない、そういった女性たちも避難所の弱者となり得る。
さらには、疲れきって仕事から避難所に「帰宅」する人も、疲れを癒すスペースがない厳しい生活を強いられる。避難所で一人当たりの占有スペースは、横になれる面積に洋服の収納ケース2個分程度という場合もあり、そこで自宅から持ち出した荷物や救援物資とともに「生活」せざるを得ない。そういう「住環境」で一番多いトラブルは「いびき」である。家族との間でさえケンカの原因にさえなるのに、赤の他人のしかも極端にプライバシーが確保されない状況では、相当なストレスとなることは想像に難くない。夜眠れずに体調を崩し、入院するお年寄りも多くいるのが現実だ。

プライバシー確保の難しさ


こうした例は少数派、特殊とみなしていいのだろうか。残念ながら、避難所生活を送っていく中では様々な場面で誰もが弱者となり得る。多くの被災者が個々の事情に関係なく同じ条件で共同生活を送らなければならないこと、しかもプライバシーが確保されないからだ。厚生労働省の規程は各避難所には間仕切りを設置するようになっているほか、ダンボールメーカーの一部では移動可能な軽量の間仕切りも製品化されているが、実際の災害で果たして生かされただろうか。
北海道の有珠山噴火(2000年3月)の時は紙でできた簡易ベッドと間仕切りの提供の申し入れが段ボールメーカーからなされたり、新潟県中越地震(2004年10月)でも救援物資として送られてはいる。ただ、運用上は全ての避難所に行き渡らせるという公平さを優先させるという配慮もあり、活用に難しさもあるようだ。
一方、個人では避難所での共同生活を送る上で「トラブルは極力避けなければ」という遠慮が、ただでさえやりきれない思いに追い討ちをかけることもある。個人が間仕切り用に段ボールを調達してきても、実際には周囲の視線を気にして使わないでいることもあるという。
今回の震災では被害が広域かつ甚大であるため避難生活の長期化が懸念されます。まだまだ寒い時期でもありますし、多くの死傷者が出るなど被害も相当に深刻ということで精神的にも相当つらいことと思います。
津波で打ち上げられたがれきや道路の寸断などでなかなか思うように支援も行き届いていない様子ですが、被災者の皆さまは希望を捨てず生き抜いていただきたいと思います。